セント 自己紹介

こんにちはセントです。

 

今回は私の自己紹介として、埼玉のド田舎で生まれ育った私が海外留学をして外資金融会社で働くまでの経緯をお話しします。

 

私は埼玉生まれの田舎育ち、最寄り駅まで自転車で30分、大都会池袋までは1時間半かかる所で高校まで育ちました。

小中は公立で、他人の話は聞かずに遠足の日にランドセルで行ったり、中一で分数が理解できなかったり本当に出来の悪い子供だったと思います。

当時は、授業が理解出来ないため授業中に友達と五目並べをしたり、おしゃべりをして本物の問題児でした。笑

中3からは高校入試のためにちょっとだけ頑張って自称進学校の私立に入学 (ヌートバーの母親がいたところ)、偏差値は当時55位のザ平均マン。

部活は帰宅部で友達と帰ってゴロゴロ。例えるならば、エスポワールに乗る前のカイジみたいな生活でした。

ちなみに、定期テストは出来るけど、模試などはダメダメな応用の効かないタイプ…

 

そんな私の大学進路は定期テストの出来の良さと、教師からの気に入られから内申点もほぼ5という感じで、それを利用して立教大学理学部化学科へ推薦入学。

英語サークルに入り、女子たちと遊ぶ順風満帆時代を過ごしていました。

しかし、7月事件が…なんとしっかり出席していた講義の単位が半分ほど落ちている…しかもほとんど専攻科目の。笑

皆さんはご存じでしょうか?日本の大学は8年までしか通えないのを。

もうミスれない、しかも全講義出席していたのに簡単なはずの前期でこれ。

もう失敗はできないそんな私が下した決断は、、、戦略的撤退(退学)!

 

ということで立教大学を4か月で退学しました。笑

母からはそんな出来ないならしょうがないとのお言葉…

 

当時、友達は順風満帆な大学生活を送っており、一方完全ニートの私は人生や将来に対しての焦りが強くまじで自己喪失状態でした…

しかし、じっとしてるわけにもいかず次に何をしようか考えたとき、私の中では①大学は出たいが大学受験はしたくない②英語は好き③何勉強すればいいかわからないという状況でした。そこで考えたのが海外留学でした。

①海外留学では大学によって書類だけで入学できる所がある。高校の内申点には自信があったのでこれはいけると思いました。

②英語が使えれば将来性があるのでこの好きな分野を伸ばしていける。

アメリカの大学では入学後に専攻が決めていけるのでなにを勉強すればよいかわからない私にとっては最高の制度でした。

以上の理由からアメリカ大学への留学という決断しました。

 

渡米先はミズーリ州セントルイス(ヌートバーがいる所)。

決めた理由は、学費を奨学金で出してくれるから。

公務員の家庭にそんな年何百万も払う余裕なんてありません。笑

費用は年間なんと学費+寮費・食費込みで年間約160万円ほどの鬼コスパ

都内私立大学の一人暮らし位の出費で留学出来るということで中々の穴場を見つけました。

ちなみに最近ではインフレもあってかアメリカトップクラスの“アイビーリーグ”の平均は学費だけで9万ドル1200万円になるみたいですね。

そこで、Financeを3年半学び揉みに揉まれた私(この話はまたいつか)。

卒業を控えた私でしたがここで難関就活にぶち当たります。

海外大の私は一発逆転を狙うべくバイリンガル就活フェア(ボストンキャリアフォーラム)に参加。

しかし、勉強しかしていない私は武器がGPA3.9/4.0しかなく歯が立たず完敗(頑張ったことが勉強で何が悪いねん!

 

More time one more changeを信じ大学院でAccountingを学びつつ就活に備えるという遅延行為を行いました。

その間にインターンをしたり、自己分析をしたりなどコツコツと準備をして2017年ボスキャリでは現職の外資金融会社や大手コンサル会社複数から内定を頂くことが出来ました。

そして今、外資系の資産運用会社にてインデックスファンドのファンドマネージャーとして勤め約5年になります。

入社当時はチームで初めての新卒採用でしたが、試行錯誤で一人前になり、昨年には米国証券アナリスト(CFA)資格を取得しなんとかやっています。

 

こんな感じで紆余曲折あった29年でしたが、紆余曲折あったからこそ沢山のことを経験していまここにいると思います。

ブログではそれをもとに、仕事、学校や資格の勉強、留学、生活のマネジメントのことなどを発信していきたいと思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします!

 

セントでした。